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ビジネス経済変革の実現

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経済変革の理念 〜社会変革の原理〜

哲学の章でも記載しましたが、マルクスは19世紀の哲学者、経済学者であり、当時の資本主義が抱える問題点、労働者に対する搾取、から、人類を幸福にする経済の在り方を考察しました。その結論が共産主義であったわけです。しかし、それは、20世紀のイデオロギー対立の結果によって間違いが証明されたと思います。

1917年ロシア革命から始まる社会主義の誕生、冷戦時の西側資本主義 対 東側社会主義の対立、1989年のマルタ会談、そして、1991年のソビエトの崩壊。それにより、社会主義思想、共産主義思想は間違っていたということが証明されたと思います。

一方で資本主義という価値体系もリーマンショック(2009年)、コロナショック(2020年)を経て、完全ではないということに人類は気づき始めています。

では、新たなる経済とは一体何か?

それを考える前に、もう一度おさらいして、マルクスの考察というものはなんだったかというと、当時の資本主義経済の貧富の格差拡大ですね。富裕層が貧困層から搾取している、今と同じですが、これはおかしい、もっと人類全体が幸福になる経済が必要だ、それは皆平等な経済である社会主義、共産主義経済であろう。これがマルクスの考察ですね。

資本主義の自由性から生み出される格差拡大という矛盾から、「反」となる社会主義、共産主義経済が生まれたということです。

しかし、ソビエトや当時の中国の社会主義体制においては、結局、貧しさの共有、貧しい中での平等という逆説が生まれてしまい、社会主義経済は人類を幸福にする経済にはなりえませんでした。

それは結局、どれだけ働いても皆賃金が平等であればモチベーションが無くなっていき、国も貧しくなっていくわけです。それに対して、資本主義の自由な経済というのは個人の開放であり、一日の長があるわけです。

では、資本主義なのかというと、これまたマルクスの考察に逆戻りであり、結局資本主義は貧富の格差を生み出してしまい、元の木阿弥なわけです。更に、以下記載のように資本主義は様々なる社会問題を引き起こしております。

では一体人類を幸福にする経済とは何なのだろうか?

そういったときには、やはり経済のベースには社会主義、共産主義の平等の理念がある。そして、私は、私自身のコンサルティング経験から考察し、それをさらに一歩推し進め、愛ある経済を提唱したいと思います。愛の中に平等が含まれると同時に愛はもっと広い概念です。

一方で、資本主義的な観点、これは、他人との競争、つまりスペック勝負ではなく、自らの個性を開放することで結果として経済全体が豊かになる、そのような方向性に資本主義を偏向していきたい。

つまり、私が考える新しい経済とは、「愛という理念の元に、それぞれの個性が解放された経済」であるということです。これを私は「Diversity Economics」と呼んでいます。

別の言い方、哲学的により本質的な言い方をすれば、絶対主義的な価値観を有した経済、それが新たなる経済の姿であると思います。

経済変革というと何か、骨格が変わるように思うかもしれませんが、そうではありません。価値の変革なのです。相対主義(資本主義)から絶対主義(新たな価値観)への価値変革、それが哲学的な見地から述べた経済変革であり、そして、これこそが経済変革の根本原理であります。私はそう述べたいと思います。

哲学的に絶対主義と相対主義を比較するため、難しい言葉で表現しましたが、絶対主義を日常的な言葉で置き換えれば、個性、です。つまり、個性の経済というのが、新たなる経済体系であると私は言っています。そして、同じく哲学的真理において、中心地点に愛があるということを明らかにしました。

つまり、簡単に言えば、「愛という理念の元に、それぞれの個性が解放された経済」、ということになります。競争に対する執着から解放され、自らの個性に集中し、結果として高度に発達した、明るい経済です。それが新たなる時代の経済体系であると私は思っています。


資本主義の問題点

資本主義の問題点は、何か?

まず第一点目は、理念が無いということです。資本主義は自由な経済ということで、自由性という理念はあると思うでしょうが、現代の資本主義は自由を通り越して無秩序化しています。それはなぜかというと、人々の、自由という理念に関する認識が足りないからです。

自由とは無秩序ではありません。愛の名のもとにおける自由です。愛の名のもとにおける自由とは、つまり、利他の思いの中で個性を開放する、ということです。まず、その理念が備わっていません。または、間違った認識のもとに作られた理念によって経済が運営されている、と言っても良いでしょう。

次に第二点目は、この間違った理念に対して人々が無意識であり、当たり前のものとして受け入れている点です。

つまり、1990年代で言えば、売上至上主義というのがある程度当たり前と思われていたわけです。当時は、マイケルポーターなど『競争の戦略』が大変ベストセラーになったわけですが、このような価値観が当たり前であった。しかし、今現在はこのような価値観は間違っていたと言われていると思います。

このような間違った価値観であるにもかかわらず、それを顧みることなく、「当たり前の価値観」として、それを前提として経済活動が営まれていた。このような価値観の中に世界全体の活動が営まれていた。これがひとつの問題点です。

例えば、私はコンサルタントしてコンサルティングファームで仕事をしているわけですが、同じ仕事仲間の多くは、このような価値観に何も疑いを持たず仕事に従事しています。ある意味、考えることを止めた宗教団体の会員のようです。

人々の無意識。同じようなことは、第二次世界大戦といった世界中を巻き込んだ戦争においてもそうであったと思います。ハンナアーレントはアイヒマンを見て、どう思ったでしょうか?戦争や帝国主義というものが、あの時代は問題の解決手段としての大枠だったかもしれませんが、今そのように思う人は皆無でしょう。

そして、次なる第三の問題点ですが、これは、個人個人の意識の問題です。個人個人が無意識であるということであり、「無意識のまま資本主義という市場に飛び込み、これまた無意識に搾取を繰り返している」それが問題でしょう。

それは、マルクスの洞察とも近いですが、人々は無意識に利己主義的に行動している。その結果、資本主義経済は搾取型の経済に陥りやすいということです。足るを知らない、ともいえるでしょう。

では、なぜ利己主義的なのか?

それは、自分自身が本当は絶対的な価値を有しているのに、それに気づけていないからです。であるから、他人との競争に夢中になって搾取を繰り返している、または、他人との競争に勝利することよって自らの価値を確認し劣等感の埋め合わせをするという間違った行為を行ってしまっているということです。

自らの価値、つまり、たった一つの個性に気づかないため、他人との競争、つまり、計算能力の「スペック勝負」に明け暮れているわけです。それに気づいていない。

要は「寝ている」んです。


自分自身に対する無価値観から、他者から搾取することで、自己満足に浸り、それを良しとする。そのような欠乏意識というものが自分の精神的な意味での生命と直結しているのです。それを奪われると自分が「死んでしまう」ので欠乏感を埋めようとする。そうではないでしょうか?

しかし、自らが満ち足りているのであれば、他人と競争する必要はないし、他人との競争に夢中になることもないのです。結局、外部に自らの価値を求めるのか、(自らの)内部に自らの価値を求めるのか、という違いです。

自らの内部に価値を求めるのであれば、外部の競争に夢中になり利己主義的に搾取するのではなく、自らの個性に集中し、その価値を分かち合うという愛の方向に向かうはずなのです。

つまり、自らの行為に対して無意識であり、認識が不足しているのです。


自然に対する搾取もこの欠乏意識から来ていると言っていいでしょう。十分に資源が有り余っているにもかかわらず、なおも搾取するのはなぜなのか?それを2020年のコロナショックで問われている、そういってよいと思います。

欠乏意識を根本として経済が運営されているから貧富の格差も発生するのです。各人が満ち足りた行動を行えば、貧富の格差は発生しません。一部の人間が独占して富をむさぼるようなことはせず、富は経済システムを通じて循環するはずです。

そして、最後に、資本主義の最大な問題点とは、人類の意識レベルが欠乏意識を土台とした競争に凝り固まっているのに自由な市場を開いている、という点でしょう。または、人々の認識レベルが低いうちは、自分と他者に対する比較に意識が傾きやすく、競争主義、つまり、相対主義に陥りやすい。しかし、これを制御できる機能が備わっていないとも言えると思います。要は、極端に言えば、思慮分別の無い子供にピストルを与えているようなものです。

ですから、資本主義の問題点は以下4つです。資本主義一般というよりも、「現代の資本主義の問題点」といっても良いかと思います。

1.価値観無き経済(1990年代は売上至上主義など間違った価値観)
2.1に対する無意識(間違った価値観を顧みることが無い)
3.自らの行動に対する無意識/寝ている(自らの外部に価値を求めている。)
4.上記3つの問題があるにもかかわらず、自由に市場を開いてしまっている。結果無秩序化している。


ですから、いま行われてることに「意識的」になり、自らの行動に対して「意識的」になるということが非常に重要であろうと思います。そのために知の認識を上げていくことが必要なのです。

自己価値の再確認

相対主義を前提として人類が生きている限り、上記の欠乏意識から逃れることはできず、今後も自然を搾取し、自然環境からの反作用を受け人類は死滅するでしょう。そのような中で、お互いが利己主義的に奪い合い、地上に地獄が現出することでしょう。

そこから、抜け出すには、どうしても絶対主義、つまり、自分自身の個性の再発見が必要になります。つまり、(自らの)内部に価値を求めるのです。そして、個性を再発見するには心の浄化が必要です。自らの心の過ちを正し、その後、ピュアな心になることで、自らの個性というものを発見するに至るのです。

そのためには、愛というものが必要になります。愛とは奉仕の心であり、利他の心であり、他人の痛みをわが痛みとする仁の心であります。

そして、このような認識に人類がいたることによって、現代の競争主義的な欠乏意識から来る相対主義から脱却し、絶対主義の個性に到達するでしょう。そこに至り、新たなる経済が生まれることでしょう。それを私はDiversity Economicsと呼んでいます。

根本的には人間の変革であるということです。

根本的に人間が変革されることによって、個性が表現された経済が実現し、人類は欠乏意識から解放され、結果として貧富の格差も是正されていくことでしょう。そして、地球環境も改善し、持続可能な社会が生まれることでしょう。

マルクスの時代は体制を共産主義に変更すればよかったかもしれませんが、今の時代は、体制の変更はもう飽和状態です。心の変革によって、社会が変わるのです。

そして、このDiversity Economicsの先に、皆さまが待ち望む「お金のない世界」というものが実現することでしょう。このお金のない世界が実現するには、人類の意識変革が必須であり、奉仕の心に目覚めることが必須であります。











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