本文へスキップ

哲学と知の変革

HOME>Taigen Ogura Philosophy Laboとは

Taigen ogura philosophy laboとは 

○新時代の知の方法 〜Theory of Thinking〜

ここ数年、フェイクニュースであるとか、ポストトゥルースという言葉をよく聞くようになりました。率先して嘘のニュースを流す人々。または、真偽などどうでもよいからとにかく面白ければ良いとして情報を流す人々。または積極的に人を害そうと思い、そのようなことを行う人々。様々なる情報によって社会が犯されているのが現代の状況であると言えるでしょう。

そのような中で、我々は、情報を選び取っていかなければなりません。そして、そのためには、我々自身も、高い認識を持っていなければなりません。認識を高く持っていなければ、嘘のニュースに踊らされ、扇動されることによって、より社会は悪い方向に向かっていきます。

そのようなニュースに踊らされることなく、確固たる自分を形成し、確固たる考えを持ち、より良い社会にしていく、より良い社会に変革していく、そのような認識を持っていくことが大切でしょう。

そして、そのような考えの指針を与えるものとして、私は「哲学」があると思います。

確固たる知の土台を形成し、それをもとに政治であるとか経済であるとかビジネスであるとかの諸問題に投影していくことが必要であると思います。

デカルトは、キリスト教的価値観が崩壊した近世という時代に合って、考えのよりどころとなる確実なる土台を抽出し、それをもとにあらゆる学問を再構築する、ということを考えました。そして、理性こそが確実なる土台であり(コギトエルゴスム)、理性をもとに学問を再構築する方法を考えました。

現代も同様です。フェイクニュースであるとかポストトゥルースによって価値観が見えなくなっている時代であり、ニーチェの言うニヒリズムに陥る一歩寸前まで陥ってしまっています。そのような価値観の崩壊した時代に合って、デカルトが提示したように、新たなる価値観を提示し、それをもとに社会を再構築することが私は重要であると思います。

その価値観とは何か?それは私は真理であると思います。

真理を導出し、その真理に基づいて、社会を再構築していく方法論、それが私が言う新時代の知の方法論です。


○知の確固たる基盤

上記真理に基づいて社会を再構築する。それはデカルトやヘーゲルの考えと軌を一にするものであると思いますが、一方で、それを行うには、真理というものは存在するのだろうか?まず、そこに回答を与えなければなりません。

現代は相対主義に傾き、真理などないという考えが哲学では一般的ですが、それに対する回答を与えなければなりません。この辺の作業は実は、カントのやった純粋理性批判における作業と同様の内容になります。非常に大変な作業です。しかし、現代においてカントと同様の仕事をやらなければなりません。「現代的なカントの役割」が必要とされる時代なのです。

カントの時代、デビットヒュームという経験論哲学者がいたわけですが、ヒュームは原因と結果の法則を否定したわけです。因果関係が否定されるとどうなるのか?それは自然科学の否定であり、近代の科学時技術を完全に否定するものになります。つまり、電気のスイッチを押すと次の瞬間爆発するかもしれないし、一日が突然1時間になってしまうこともありえます。人間の生活基盤が崩れるわけです。

それに対して、カントは、純粋理性批判によって、因果関係の信ぴょう性を肯定し、自然科学の信ぴょう性を立証したわけです。それによって、人々の生活は守られたわけですね。

それと同様に現在は相対主義の時代であり、人それぞれの価値観の時代です。そうなると、もはや共通認識は何もありえなくなります。極端に言うと、善や良心ですらも人それぞれ解釈していいことになり、人殺しでさえも肯定されてしまいます。そんなのありえないと思うのが通常の話でしょうが、しかし、相対主義を貫くとそのような結果になってしまいます。

そして、人類はまさしく、フェイクニュース、ポストトゥルースによって、危険な領域に足を踏み入れようとしています。

ここにおいて、カントが自然科学の信ぴょう性を立証したように、今度は真理の信ぴょう性を立証する必要があると思うのです。

さて、しかし、この真理の証明は実は極めて困難な作業です。この真理は実は知によって証明はできません。カントの言うようにアンチノミーに陥り、真理は存在するとも存在しないとも同時に立証されてしまいます。

現代哲学は、真理など無い、と言いますが、なぜそのように言うのでしょうか?それは単純に言えば、真理が証明できないからです(詳細は私の『理念の哲学』において記載します。)。いろいろな議論はありますが、単純に言えば、全てそこに落ち着くわけです。

では、いかにして立証可能なのか?それこそが、私が最も主張したいことであり、現代のコペルニクス的転換であり、新時代の哲学、知の方向性になっていくものであります。それは、

「知(哲学)の基礎には信仰心がある。」

という事実です。私はそれを声を大にして言いたいと思います。真理とは証明によってではなく、信仰によって到達するものです。逆に言えば、信仰心が無い限り真理に到達することは不可能なのです。

哲学は、信仰心を元に再構築され、そして、新たな「考え方の基礎」というものが提示されることでしょう。そして、その「考え方の基礎」の元に、あらゆることは再構築されていくことと思います。

新たな時代の知は、知と信仰の融合した「悟性知」となると思います。また、そうあらねばならないと思います。

私の哲学的主張のポイントは以下です。

<ポイント>
1. 信仰心の復活  〜知と信仰の融合〜
2. 神の復活、愛の復活、真理の存在
3. 相対主義から絶対主義への価値転換


○知の基礎づけ

上で記載しましたように、現代の知のあり方と言うのは、相対主義を主体にした事実に基づいた実証主義的な知というものがメインであると思います。

しかし、既に記載しましたように、そのような知のあり方は、本来のあり方ではないと思います。知とは本来、信仰心に包含され、信仰心を土台としたものでなければならないと思います。

そのような「知の構造」があると思います。

そして、知の構造とは以下の簡単な公式によって定式化されると思います。この公式は私が発見したものではありますが、内容として、人類の至宝と言われるオイラーの公式:eiπ+1=0 と同じくらい美しいものであると思います。

事実認識+信仰心=100% ただし信仰心>0

例えば、科学と宗教ということに関して、科学は事実認識のほうが比率が高いですが、しかし、帰納法には限界があり、どうしても最後は信じる力が必要になります。どうやっても信仰心はゼロになりません。一方で宗教は信じる力のほうが比率が高く、事実認識のほうが比率は低いでしょう。しかし、事実認識が全く無いわけではありません。したがって、科学にしても宗教にしても、「認識」ということに関しては、比率の違いがあるだけで絶対矛盾的自己同一(西田幾多郎)により上記公式に収斂(しゅうれん)されるわけです。

今後、知は、信仰心を基礎にした悟性知へと変革されていくと思いますが、私はそれが知の本来のあり方であり、知の構造であると思います。

そして、この悟性知を源流として、あらゆるものが再構築される必要があると思います。

そういう意味では、このホームページで主張していきたいことは、「知の基礎付け」です。あらゆる事柄、事象の大元になる知の基礎付けです。大元である知、それ自体の再構築です。


○哲学が現実に何の役に立つのか?

信仰心の復活などどうでもいいのではないか?信仰心の復活など現実社会とは無関係では無いか?何の役に立つのか?という考えもあると思います。

しかし、現実の問題に本質的に解答を与えようとしたとき、一番根本的な部分から議論しないと本当は難しいと思います。それが哲学の意義であると私は思います。私は真理は存在する立場をとりますが、その場合には、全体的な理念が提示され、それを元に社会の隅々まで理念が浸透することが大切です。でないと、社会のどこかにひずみが生じ、そのひずみは様々な軋轢、争いへと発展します。

また、私自身、経済の変革において、資本主義経済的な競争経済から、それぞれの個性が十分に表現され、それらが共同で様々な物事を創造していく経済に移行するという話をしていますが、それは、根本的には相対主義から絶対主義への価値転換です。しかし、もし哲学的な真理が相対主義であれば、その結論はおかしいわけです。整合性がありません。(まあ、整合性自体も哲学的議論の対象ではありますが・・。)

ですから、まず土台となる哲学の真理とは何か?それを明らかにしなければならないわけです。明らかにした上で、それを各分野に対してブレークダウンするという方法が必要になるわけです。デカルト的ですね。そのためにまず哲学的な基礎を構築する必要があるのです。(※本来この方法論が正しいかどうかも議論すべきですが、それは私の理念の哲学を参照ください。)

まあ、要は、面倒なのです。哲学とは面倒なものなのです。非常に基礎的な部分まで、数学で言えば公理ですね、当たり前と思える部分まで遡って、基礎を固めていく必要があるわけです。このページも哲学を基礎にして様々な分野を論述しようとしているので、そこは避けて通れないわけです。

カントは、自身の『純粋理性批判』を哲学を行う前の予備学と位置づけました。哲学を構築するための哲学ということです。それだけ根本的な内容であったわけです。私自身の後述する理念の哲学もそういう性格を持つものです。内容的には、カントの『純粋理性批判』と『実践理性批判』を統一的に解釈したものであり、トーマスアクィナスの宗教とアリストテレス哲学の分離と同様の内容であると思います。

したがって、私のオリジナルで新しい理論と言うわけでは無いですが、改めてこの真理なき時代に提示すべき内容であると思います。


○それぞれの分野の再構築

知の変革によって、ビジネス、経済、科学、芸術、あらゆることが再構築されていくことと思います。そして、新時代を迎えることと思います。新たな時代は、神の時代であり、知と信仰の融合した「悟性知」、それが知の根底にある時代になるであろうと思います。

私自身はコンサルタントでビジネス経済を専門分野としていますが、私自身の経験による考察、および、哲学的な考え方と合わせて、ビジネス経済の向かう方向性、社会構造の変革に関しても考えてみたいと思います。

また、新たな時代は、知と信仰が融合するとともに、科学という分野にも変革の兆しが訪れると思います。古くから神と科学は別のものという見方が強かった、そして、科学が発達したことによって実証主義的な傾向が強くなり、人々は神を忘れてしまった、私はそう思います。しかし、科学をさらに突き詰めていき、三次元の限界の壁を突き抜けた時に、神と科学は実は同じものであったということが分かるようになると思います。そこに至り、宗教と科学は統合される、そう思います。

このホームページではいろいろな分野を探求していますが、しかし、それらはバラバラに分断されているのではなく、統一的に解釈され、全体的にひとつを構成していることが分かると思います。そのような状態が私は本来の在り方であると思います。

そして、そのような状態に人類が到達したときに、新たなる新時代、それは宇宙時代として幕を開けることになる、私はそのように思います。


○三部作

以下、哲学、ビジネス経済、心の科学の3つで三部作を構成しています。それぞれのページの最下段に目次を記しています。

『理念の哲学』
『新しい時代の働き方と経済変革』
『心の物理学』


○研究分野について

このホームページでは、哲学をベースにしながら、ビジネス経済や科学など研究分野が多岐にわたっています。そもそも、哲学のみに特化した哲学者も多いでしょうが、多くの哲学者は様々な分野を探求し、その思想を著作に著していったと思います。

例えば、デカルトは、数学や科学に関しても十分な功績を残しており、のちにニュートンの科学思想に影響を与えました。ライプニッツは万学の天才であり、カントも哲学だけでなく、科学についても考察し、また、スウェーデンボルグの霊界探訪に対する批評を行っています。また、そもそも『純粋理性批判』の内容は時間と空間、そして、科学法則に関しても、深く記述されています。

また、プラトンの創設したアカデメイアの門には、「幾何学を知らざる者入るべからず」の言葉が記載されていました。ビジネス経済ということで言えば、例えば、マルクスは人類を幸福にする経済の探求を生涯をかけて行いました。また、アインシュタインは科学者ですが、音楽、バイオリンをこよなく愛したと言います。

ですから、哲学というのは、あらゆる学問につながっており、哲学的な考えの基礎が自分の中に構築されていれば、他の学問に対しても応用が利く、そのように思います。特に世界解釈、つまり、科学とのかかわりですね。科学とのかかわりは深いと言えると思います。

この辺が、このホームページに多岐にわたる内容が記述されている理由になります。








Taigen Ogura Philosophy Labo

【お問合せ】
E-mail: mtws.office@gmail.com