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東南アジア(タイ、カンボジア)で考えたこと

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東南アジア(タイ、カンボジア)で考えたこと

○タイの孤児院を訪問して

仕事でタイに行ったときのことです。
タイ人の仕事仲間に誘われて、オルファンハウス(孤児院)に行ってきました。その仕事仲間は、年に何回か孤児院行くらしく、行って寄付をしてくるらしいのです。私自身、是非行きたいと思い、2つ返事で「行こう!」と言いました。

場所は、どの辺だったのでしょう。車で連れて行ってもらったので、どの辺なのか全くわからなかったのですが(そもそもタイの地理を知りませんが・・)、バンコクからおおよそ車で3時間ほどでしょうか、走って孤児院につきました。

その孤児院は、ラオスとの国境付近にあるようで、孤児院にいる子供たちは、ほとんどがラオス人と言うことでした。私が着いてから、いきなり仕事をやらされたのですが、それが、昼食をおわんによそる仕事でした。小学校の学校の給食で、生徒が並んでおわんに給食を入れてもらう、あれですね。それをやったわけです。

子供たちが、おわんを持ってきて私の前に並んで、一人一人よそってあげて。子供たちは私を見てどう思ったのかわかりませんが、よそってあげるとみんなかわいらしくお辞儀をして、自分の座る場所に戻っていったものです。



写真のように当然、テーブルや椅子などなく、地べたに座って食べるわけですが、日本の小学生との落差を考えると、「彼らとしてはもしかしたらそれを当然のことと思っているのかもしれないが、もっといい教育を与えてあげることができたら、もしかしたら、彼らももっと幸せになれるかもしれないのに・・」とやるせない気持ちになったものです。



実際に孤児が何人いたのか、見た目には、おおよそ200人〜300人程度だったでしょうか。子供たちが何を考えてこの孤児院にいるかはわかりません。もしかしたら、何も考えていないかもしれません。日本人の私から見たら、かわいそうにとも思ってしまいますが、彼らからすると、この環境が当然と思っているかもしれません。したがって、彼らの立場に立ったら、特に、幸せであるとも不幸せであるとも思っておらず、当然のことと思っているかもしれません。

そういうわけで、私自身が「こうすれば彼らはもっと幸せになる!絶対彼らは日本人のような生活が幸せなんだ!」と言って推し量ることは、非常に傲慢であるし、絶対に思ってはいけないことですが、一方で、物質的/精神的な豊かさを提供することで彼ら自身に対して、より広い可能性を与えることは可能であるという風に思います。

自分自身、何らかの方法で、自分にしかできない方法で彼らに対して貢献できないものかとそのように考える毎日なわけです。

そして、私自身は物質的な豊かさを提供することは難しいけれども、心の豊かさを教えることはできる、そして、経済が人類を幸福にするように、そのような経済を構築することで彼らにとっても、豊かさを提供することができる。それが私の出来ることであり、自分自身ができることによって、彼ら、彼女らに対して自分自身の愛を分かち合っていきたいとそのように考えるわけなのです。

○カンボジアのアンコールワットで

カンボジアに観光に行ったときのことです。
カンボジアと言えば、アンコールワットと思いますが、私自身も御多分に漏れず、アンコールワットを見学に行ってきました。タイのスワナプーン空港からカンボジアのシェムリアップまでは1時間程度で、日本国内を旅行するような感じなのですが、タイで仕事をやっていた土日を利用していってきたわけです。

そういうわけで、弾丸旅行で1泊2日で一人で行って、宿のお兄さんのバイタクを雇って、一日中連れまわしてもらったわけです。一日目はベンメリアっていう、「天空の城ラピュタ」のモチーフにもなった場所なのですが、連れて行ってもらいました。舗装道路を走っていたかと思ったら、途中から、いわゆる熱帯雨林地帯に入っていき、「ええ!熱帯雨林なんて初めて見た!ほんとに土が赤い!!高校で習った通りだ」と思ったものです。写真を添付しますが、これは、感動でした。



ベンメリアの帰り道、小さな学校があって、「わーすごい、熱帯の小学校だ!」と思い、バイタクのお兄さんに止まってもらい、小学校の中をいろいろ観察してきました。教室も、TVなどで見る、いわゆる熱帯地域の教室で、初めて見るものに感動したものです。そうこう見物していると、小さな女の子が寄ってきて、ついてくるわけです。私のことが珍しかったのでしょう。写真を何枚か取ってあげたのですが、そのうち、小さな子供たちが寄ってきて、写真を非常に興味深く眺めて、かわいらしいものでした。ちょっと雨が降っていたのですが、大きい葉っぱを傘代わりにした子供がいたり、本当にかわいらしかったです。



まあ、それは、私が外部の人間であるから、そして、非日常であるからそのように思うのであって、私自身が、彼らの状況になったとしたらどうでしょうか?これも、孤児院の話と同じ話で、彼らの状況から見た彼らの思いというもので図らないとわからないわけですが、しかし、やはり、豊かさを提供することができたならば、彼らの可能性というものも広がるのではないか、とそのように思ったわけです。


さて、2日目はアンコールワットの見学でした。
これは、タブロムという遺跡でのことです。遺跡がある場所は観光客でにぎわうので、観光客目当ての現地人も多いのですが、やっぱり私のところにも小さい女の子が来たわけです。5歳くらいだったでしょうか。

その子が、ちょっとませていたのですが、「ねえねえ、写真とらないの?Iphone持ってないの?」(英語で)とか。何!Iphoneだと!?とびっくりしたものですが、いろいろ知っているようです。(非常に残念なのですが、携帯の電源を忘れて、悪いことに携帯の電源が無くなってしまったのですね。それで写真が一枚も取れなかったのです・・。)

また、なぜかその子が日本円300円を持っていて私に「この300円使えないから、ドルに交換して」(英語で)という風に言ってくるわけです。「しっかりしてるなぁ」と感心して3ドル出すと、「いや、今レートが高いはずだから、4ドルくらいでしょう?」と!!?

その後も、何かなついてきて、良くしてあげたからなのでしょうか。その子が、「ねえ、これあげる」と言って、私に土産物をひとつくれようとしたわけです。私は、(くれてから、後でお金請求されるのかな)と思い、「いや、いいよ、いらない」と断ったわけです。そして、「ごめん、行くから」と別れようとして、遠ざかろうとすると、その子が「はい!」って土産物を私に本当にくれて、立ち去っていったわけです。

そのときの私の気持ちがわかるでしょうか。非常に、自分自身が情けなく感じたことを分かるでしょうか。そして、こういった経済関係のひずみが人の心を信じられなくなるひとつの要因を生み出していることに対してひどく悲しくなりました。


(交換した300円)

(小さい女の子からもらったお土産物)

さて、その後、タブロムを見学し終わった後、バイタクに乗って宿に戻ろうとすると、また違う子が私に、「これ1ドルでいいから買って」と、腕輪を差し出してくるのです。「いや、いいよ」っていう風に何度も言ったのですが、断っても断っても、来るので、(1ドルでこの子がちょっとでも楽になるなら・・)と思い、買ってあげたわけです。すると、周りにいた子供たちがわーっと私のところに来て、これは無理だ、と思い、バイタクに走ってもらったわけですが・・・。


(1ドルで買った腕輪)


カンボジアの旅行はいろいろなことを考えさせられました。
ひとつ言えるのは、貧困、貧富の差というものが、人々に対して、多くの機会を奪っているということ。貧しい人の中にも、優秀な人材はいるでしょう。しかし、現状では、その優秀さを発揮することなく、貧困の中に埋没していくのです。

それが、彼らにとって幸せであるか、幸せでないかという価値判断はまたひとつあるのですが、貧困が彼らにとって「可能性」を狭めているという事実は確かにあると思います。ですから、我々としては、この可能性を広める努力をする必要はあると感じるわけです。そして、私自身も日々、いかにして、可能性を広めて行くことが可能なのかということを考えて、活動を行っているわけです。




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