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知性の最大の問題点

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哲学と宗教 

現代の知の最大の問題点

1.現代の知の最大の問題点

現代は、知が非常にクローズアップされた時代であると思います。しかし、一方で、私は現代のこの知は決定的な欠陥を伴っている、そのように思います。それは何か?それは、理念が無い、ということです。

「理念が無い」ないし「間違った理念を元に社会活動が営まれている」それが現代の知の最大の欠陥であり、最大の問題点です。

そして、理念が無いことが現代の知の問題点であるならば、それは、哲学的にはイコール相対主義の否定につながると言えるでしょう。


さて、理念が無いことの欠陥が、抽象的で分かりづらいようでしたら、1990年代の金融資本主義経済を考えてみれば分かることでしょう。あの時代は、もう少し前でしょうか、1970年代のオイルショック、ニクソンショックまでさかのぼっても良いかも知れませんが、こういった出来事を経て、経済はコストダウン、効率化に傾き、徐々に金儲けのための経済に変貌していきました。

私自身のコンサルティングもビジネスプロセスリエンジニアリングで業務効率化を進めるもので、自虐的になりますが、そのような経済に傾いていったわけです。いつしか「売上最大化」、「利益最大化」が至上命題になり、短期利益重視の四半期決算の導入といった、お金儲けの経済へと変わっていったのです。

そして、その成れの果てが2009年のリーマンショックであり。2020年のコロナショックであります。ここにきて、人類は何かおかしいと気づき始め、ESG投資やSDGsといった数字だけを重視するのではなく倫理面も合わせて重視する方向に経済が舵を変更しているわけですが、少し前までは売上最大化が当たり前のものとして受け入れられ、多くの人が、何の疑問も呈していなかった。

経済で言えば、直近になり、ESGやSDGsという倫理面を重視した考えが、売上という数字にプラスされ、つまり渋沢栄一の言う「論語と算盤」、ないし「道徳経済合一説」が重視されるようになったわけですが、少し前まで、「経済の理念」が全くなかったわけです。

そして、理念なき経済において、論理的思考などの道具的思考でもって、売上最大化を競っていたわけです。


2.理念が無い、または間違った理念の問題点

では、なぜ理念が無いこと、間違った理念が選択されることが問題なのか?それは、「どの理念を選択するかによって下位レベルの事象が非常に大きな影響を受けるから」です。

売上最大化や数字主義によって、かつて人類は何度もの経済危機を経験してきました。1997年アジア通貨危機、LTCMの破たん、2009年リーマンショック、2020年コロナショック。そして、一部の富裕層が99%の富を独占するという貧富の差の拡大が発生してきました。

それは、数字主義という理念を選択したことによって、間違った価値観を選択したことによって引き起こされていることです。人類が幸福になる方向性であれば、是認されますが、間違った価値観を選択したことによって、その下位次元が全て影響を受け、人類を不幸へといざなっているのです。

ですから、理念が最も大切であり、この理念が最上位の次元に位置付けられるわけです。理念が間違えばすべて失敗するのです。

売上最大化も理念と言えば理念です。しかしそれは間違った理念です。売上最大化という間違った理念です。そして、既に人類が経験してきたように、その間違った理念の元に運営される経済は失敗に終わるのです。

だからこそ、理念が存在することが、もっと言えば、「正しい理念が存在し、それを元に物事が運営されること」が大切なのです。

では、正しい理念とは何かと言ったときに、それが真理です。ですから、私が「新時代の知の方法論」で記載しているように、「真理を元に社会を再構築する」、という主張につながるのです。


3.相対主義の限界

相対主義においては、適切に理念を選択することができません。
相対主義においては、あらゆる価値観は相対的であり、あらゆる価値観が是認されることになり、ニーチェの言うように「声のデカい人」の意見が通ることになるでしょう。その結果が今の経済の状態です。

相対主義においては価値を議論することができません。どの価値も同等に価値があると想定されるために、価値選択、理念選択ができないのです。

それでも、人類が幸福になるのであれば、それでもよいかもしれません。しかし、貧富の差によって確実に苦しんでいる人々はこの世界に存在しているのです。

相対主義は絶対的に間違っています。価値は存在し、理念や真理と言ったものは存在しているのです。


4.カントを超えて


では、理念が埋蔵されている世界とはどこにあるか、真理が埋蔵されている世界とはどこにあるのかというと、カント的に言うならば、それは物自体の世界であり、叡智界ということになるでしょう。

カントは、理性(≒知性)で考えることには限界があり、真理や理念といったものは理性的認識でとらえることはできないとして、知と宗教を分離し、理性的認識と宗教的認識(実践理性)に境界線を引きました。

しかし、それでは、上記知の問題点は解決されないのです。カントの認識では現代的な知の問題点を解決することはできないのです。

正しい理念を把握したうえで、その理念の元理性を行使する必要があるのです。つまり、知と宗教を融合する必要があり、知と信仰心を融合させる必要があるのです。

1700年代、カントによって、理性と信仰が分断され、それによって知がそれ以前とカント以後に前後裁断され、その後の時代が決定づけられたわけです。それがこの2000年代まで続いているわけですが、現代という時代はこのカントによって前後裁断されたこれまでの歴史を更に前後裁断する。

カント以降の時代を更に前後裁断する、その時代ピリオドに現代は、位置付けられていると思います。

カントを超えて、「新時代の知」を打ち立てる、それが現代に必要とされていることであると私は思います。(「新時代への価値変革 ~哲学と科学の共同作業~」等参照)
















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