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哲学と知の変革

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哲学と宗教 

知の基礎づけ

最近、哲学者の人生相談室のような形で、過去のいろいろな哲学者の言葉を引用して質問に回答する内容を見かけます。

しかし、例えば、「ニーチェはこう言っている」とか「デカルトはこう言っている」とかいっても、両者は大分主義主張が異なりますし、ニーチェは無神論者であり、デカルトは神を信じており、本質的に考えの基礎が異なります。それなのに、両者を同じ土俵でもって議論することは非常に困難を伴うと思います。

そのような状態は、知の基盤、知の基礎が整っていない状態であり、議論に対する論理一貫性も無く、したがって、それが本当に正しいことなのか。間違っているのか判断がつかず、信頼性もなくなるでしょう。

信頼性のために重要なのは、私は論理一貫性であると思います。

論理一貫性があるということは、そこに何らかの知の基礎があるということです。もっと言えば、知の基礎となる何らかの理念があるということです。そして、その基礎的な理念に基づいて、論旨を展開しているということです。

そして、そのような論理一貫性があるためには、結局のところ単純なことですが、自分自身が、自分自身の知の基礎となる確固たる哲学を持っており、あらゆる場合も常に、その基礎に基づいて自分の言葉で語っている、そのような状態が必要であるということです。

ですから、最初のステップとして、哲学者のそれぞれの哲学を知っている必要はあると思いますが、しかし、自分自身が何かを提示する場合には、単に哲学者の哲学を紹介するのではなく、何らかのアウトプットを提示するのであれば、必ず、その言葉に自らの知の基礎があり、その人自身の哲学で語る必要があるということです。

第一段階:哲学者思想のファクト
第二段階:自分自身の思想(基礎付け)とフィルタリング
第三段階:疑問に対する回答


私自身も、まず第一段階として、それぞれの哲学者の哲学思想は提示します。しかし、それはあくまで私自身がファクト(哲学者の哲学思想)を前提として、それを基礎として持っているというだけの話であり、アウトプットはそれらを意識してはいないわけです。私自身の哲学によって、私自身の認識でもって話をしているということです。

そうすることで、単に自分自身の哲学者のデータベースから回答に合いそうなものの検索をかけるというチューリングテストのような機械的な作業から、本質的な回答を与える、そのような知の変革を生み出すことが可能となることでしょう。

要は、何らかの議論を行うには、やはり知の基礎が必要であり、リチャードローティのような反基礎づけ主義は間違いであると思います。そして、その基礎を元に論理一貫性ある議論の展開が必要であるということです。

また、その基礎付けが正しいのかどうかは、この論理一貫性によって判断されることでしょう。私は相対主義は間違いであると思いますが、やはり相対主義の立場を取っている限り、首尾一貫した議論の展開は不可能のように思えます。何か、違う原理があるように思えるのです。










Taigen Ogura Philosophy Labo

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