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哲学と知の変革

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哲学と宗教 

知の方法 〜相対主義から絶対主義へ〜真理の証明〜

知と信仰心を題材に哲学的な内容を考えてみたいと思います。詳細は私の論文『理念の哲学』にて。

1.真理の存在と統合へ向けて

今現在は、ポストトルゥースと言われるように、真理なき時代とも言われます。価値観は人それぞれと言われ、絶対唯一のものは無いといわれています。唯一の価値観に押し込むことで不寛容さが生まれるとも言われていると思います。善や正義といった概念も絶対的な価値では無いと言われることもあります。そのような中で世界は分断に向かい、また社会も分断に向かっていると思います。

しかし、真実のものがなければ、人々の行動の拠りどころは一体どこに求めればよいのでしょうか?

私は断言しますが、真理は絶対的に存在し、善や正義と言った最高理念(イデア)は存在します(※詳細は『理念の哲学』にて)。最高理念は存在し、今後人類は、分断の壁をつきぬけ、統合の方向に向かっていくと思います。

ニーチェは価値観は人それぞれ(遠近法主義)と言い、それ以降解釈学が発達し、それが現代の相対主義の淵源であると思いますが、私は真理は必ず存在する、そう断言しましょう。その鍵を握るのが信仰心なのです。その真理の元、高い次元の理念を把握し、その統合理念に基づいて社会を再構築していくことが必要であると思います。それが次世代の社会の姿であると思います。

真理とは、調和性と発展性のバランスの中にあり、簡単な言葉で言うと愛ということになろうと思います。愛の元に社会は統合され、神の元再構築されると思います。


2.絶対主義のもと統合と個性は両立 〜絶対矛盾的自己同一〜

そのように言うと、必ず、人々には個性があり、それを統一することは間違っている、唯一の価値観に押し込もうとする、それが西洋哲学の大きな誤りである、という人が現れます。

東西冷戦の時代は東側(社会主義)と西側(資本主義)がお互いが自分が真実であると譲らず多くの犠牲者が出たため、真実など存在しないとジャックデリダは脱構築を行いました。

しかし、そのような考えは私は間違いであると思います。愛の元における統合と個別の個性は一見すると互いに矛盾するように思えますが、しかし、両者は両立しうるのです。それが京都学派、西田幾多郎の絶対矛盾的自己同一です。お互い矛盾しながら自己同一を果たしていく、それによって大いなる大調和が生まれる、それが真実の姿である、私はそう思います。それを西田幾多郎は絶対矛盾的自己同一という言葉で表現したと思います。

本当の姿とは、愛の名のもとにお互いの個性が燦然と輝きより素晴らしい世界を形作る、そのような姿です。愛によって統合されるとき、それぞれの個性が燦然と輝きを増すのです。個性は唯一であり、これは、相対主義ではなく絶対主義なのです。


3.理念の哲学 〜現実の問題を理念に基づいて解決する方法〜

従い、今後、ポストトルゥースを乗り越えて、真実の価値観を導出し、その価値観の元、社会の再構築が必要となることでしょう。では、どうやって再構築するのか?その方法がないと難しいでしょう。

そこで、私自身は、真理を導出すると同時に、その真理に基づいて、問題解決する方法を構築しました。それを私自身は理念哲学と表現しています。そして、このホームページの内容は全て、この理念の哲学の方法で持って、記載しています。

私は理念哲学と表現しているわけですが、別に方法論はなんでもいいのです。名前も何でもいいのです。「真理をこの三次元世界に映し出す方法」それであれば、方法論はどうあってもいいのです。

しかし、いずれにせよ、真理に沿って神の世界をこの三次元世界に映し出す、それは大変重要なことであると思うのです。神の世界を地上に表現する、それをこのホームページでは様々な観点から記載しているわけです。


4.人間はどのように生きればよいか?

さて、我々個人個人の大きな問題は人間はどのように生きればよいのか。その課題でしょう。

私はそれはギリシャ哲学に求めることができると思います。20世紀初頭の実存主義に求めずとも、ギリシャ哲学のソクラテス、そしてアリストテレスの2巨頭の言葉に学ぶことが可能であると思います。また、ヘーゲルも重要ですね。詳細は私の論文の中に記載しましょう。

また、働き方については、ビジネスと経済の頁を参照くださればと思います。












Taigen Ogura Philosophy Labo

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