無用の用

無用の用とは老子の言葉です。

橋というものは、その機能を最も効率的に果たすのであれば、幅は10cmもあれば十分でしょう。10cmあれば、向こう岸まで渡ることはできます。しかし、高さ10mの川の上を掛けてある橋が10cmの幅しか無ければ、そのようなものは怖くて渡れないのです。しかし、幅が2mもあれば、悠々として渡ることが可能でしょう。

このように効率化の観点からすると、無駄だと思われるものが、実は用を足していることがある。無駄だと思われるものがあるからこそ、実際に使うことができる。これを無用の用と言います。

仕事において、見積を取る、ということは、どのような仕事でもあると思います。クライアントとしてはコストを安くしたいので、常に見積を下げるように要求されると思います。そこで、完全に効率化して、全く余裕の無い見積を作成し提示した場合、どうなるでしょう?

クライアントとしては喜ぶでしょう。しかし、工数に余裕が無いからこそ、何か不測の事態が起きたときにリカバリーすることができません。また、そのような中でも利益をねん出しようとすれば、本来必要な工程を飛ばして、製品を完成させる、といったこともあるでしょう。品質検査的にはNGになるような、そのようなこともあるでしょう。

これが、品質不正、会計不正といったものの実態であろうと思います。つまり、完全に効率化して余裕をなくすことで、社会的信用を無くすという重大なコストを強いられることとなるということです。

これは、現代社会の余裕の無さの氷山の一角にすぎません。このほかにも、余裕の無さが社会をギスギスさせている事例と言うものは、山ほどあります。今我々は自分自身を振り返り、利便性だけを追求するのではなく、もう少し心の余裕を人生の指針とする。そういったことを考えてみることが必要でしょう。