哲学の難問⑥カントはどう答えたか?

主観と客観の一致について考えたのはデカルトだけではありません。カントは。人間の認識構造を分析し、人間が客観的な認識を獲得することができる理由を探ろうとしました。

どういうことか?

主観と客観の一致とは、つまり、自分が考えている主観と対象である客観が一致しているのか?ということであり、私が考えるカント哲学はカントが本当に意識していることと同じことなのか?ということとなります。

そういう話なのですが、では、科学法則はどのようにして認識が可能でしょうか?科学法則は、宇宙に存在する普遍的なものであり、方程式で記述することができる客観的なものです。もし、人間の認識が主観と客観の一致が不可能であれば、客観である科学法則は認識できないはずです。しかし、実際に科学法則は人間によって認識されており、かつ学問として成り立っています。それどころが、我々のあらゆる部分に科学は浸透しています。

では、どのようにして、人間は科学のような客観的な認識を行うことが可能なのか?

それを検討したのが、『純粋理性批判』です。この著作の中でカントは、人間が科学の客観性を認識可能な理由は、科学を構成するところの時間と空間が我々人間の側に備わっているからだ、と結論付けます。通常、時間と空間は我々の外に存在すると認識しますが、カントは、我々人間の側に存在している、つまり、時間と空間は我々の認識形式である、と主張するのです(コペルニクス的転回)。

こうして、我々の側に時間と空間を寄せることによって、そして、因果関係も我々の認識形式であるとしてやはり我々に寄せることによって、科学の客観認識が可能であると結論付けるのです。

カントは、これによって、主観と客観の一致は可能である、と主張しました。

しかし、あくまで、時間と空間という色眼鏡をつけた範囲内で主観と客観の一致が可能なわけであって、時間と空間の向こう側(物自体)の世界の認識は持つことはできない、と結論付けています。

難しいことを言っていますが。要は、人間の理性認識は三次元に限定され、それを超えた存在は認識不可能と結論付けていると言うことです。