教育の基礎に信仰心を置く

現代教育の課題はいくつかあると思います。その一番の問題点は、教育が受験に合格するための手段になっていること、と言っても良いかもしれません。教育が、中学に、高校に、大学に合格するための手段となっている。

しかし、それでは、生徒は何をやっているのか分からなくなってきます。何のための勉強をしているのでしょうか?大学に入るための学問でしょうか?いい就職先に入るための学問でしょうか?それが学問の目的でしょうか?

まず教育は、人生の目的を教えてあげるべきです。そして、人生の目的に沿った教育を行っていく。それが大切です。そして、人生の目的とは多分に宗教的な内容となっていきますが、つまりは信仰心です。信仰心がまず教育の基礎になければなりません。私はそう思います。

偏差値教育を超えて

先述したように、現代の教育は受験に勝つための競争に勝つための教育がなされていると思います。それが偏差値教育と言うことになると思いますが、いい点数を取る生徒ほど偏差値が高く、良い大学に入ることができる。

しかし、それが本当の教育でしょうか?私は教育の目的は、そして、学問を学ぶ目的は、自分自身の価値観を広げていくことにあると思います。自分自身の価値観の拡大、そのために教育がある。自分自身の価値観を拡大し、視野を広げ、その大いなる視野でもって社会のために役に立つ自分を作っていく。それが学問を学ぶ目的であると思います。

然るに、学問が受験に合格するための手段となった場合には、学問が技術的な内容に変質することとなり、学問を学ぶことの喜び、自分自身の知識の幅が広がっていくことの喜びを失ってしまうように思えます。

人類の歴史は常に、知的好奇心によって切り開かれてきました。ニュートンにしても、アインシュタインにしても、デカルトにしても、カントにしてもそうです。学問は手段ではなく、目的としてあるべきです。学びたいから学ぶ。知りたいから学ぶ。知的好奇心があるから学ぶ。今こそ、そのような「目的としての教育」の変革が望まれるでしょう。

霊的価値観を元にした教育体系

教育に関する、もう一つの大きな課題は、現代の学問は、唯物的価値観が主体となっていると言うことになるでしょう。私のこのホームページ自体が唯物的価値観から霊的価値観への転換を促すものでありますが、このような価値変革が行われたのちには、当然教育のあり方も霊的価値観を主体としたものとなっていくことでしょう。

政治も、経済も、国際問題も、社会問題も、科学も、医学も、芸術も、文学も、あらゆる学問が、その基礎に霊的価値観を置くこととなります。そして、そのような大学が将来的に現れるであろうと思います。それが新しい時代の教育のあり方であろうと思います。

<参考著作一覧>