現代のデカルト的な疑問:知の基礎付け⑥
前回、理性の信頼性を保証することはできないという結論を導出しました。
さて、相対主義や実証主義は何によってその主張がなされているかと言うと、理性ないし知によって、なされていると思います。そして、理性ないし知の信頼性を保証することができない、という話をしました。
従って、相対主義や実証主義が信頼できるかどうかもまた保証することはできないのです。信頼性を保証することができない理性や知によって相対主義や実証主義が導出されているので、その結論もまた信頼性を保証することができないのです。
要は、相対主義者や実証主義者の主張は根拠がないのです。
さて、それはまた真理が存在する、という主張に対しても同様です。真理が存在する、という主張に対しても、知の信頼性が保証できないのですから、その主張も論拠がありません。
では、一体我々はどうすればよいのでしょうか?
結局は、主観と客観は一致するのか?そこに戻ってくるわけです。
主観と客観の一致の問題を解決しない限り、知の基礎付けを行うことはできないのです。