時間とは何か?(5)時間の構造

物理次元においては時間は存在せず、人間の意識が時間を創造している、という話をしました。

通常、人は自分自身の外部に時間が存在すると認識していると思います。そうではないということです。この辺はカントも指摘していることですが、時間は人間の内的な要素なのです。私はそう認識しています。

もし時間が外部に存在しているとすればどうなるでしょうか?その場合には、連続した瞬間、瞬間の世界というものが、全て保存され、永遠の過去から現在まで至る時間の流れの中において世界が全て保存されていなければなりません。そして、それが未来に渡って展開している必要があるでしょう。ちょうど映画のフィルムのように連続して世界と言うものが存在している必要があるということです。

しかし、次の瞬間を想定した場合、次の瞬間の未来はあらゆる無限の可能性が開かれているわけで、更にその次の瞬間に進んだ場合にも、あらゆる無限の可能性が開かれていることになります。それらの世界が過去から未来に至るまであらかじめ無限に存在している必要があるでしょう。でなければ、時間を進めることができません。

また、意識との関係はどうなるでしょうか?例えば、過去から現在、未来へと世界が開かれているのであれば、自分自身の実体も意識も、意識は過去から現在に至るまで、ずーっと引き延ばされて存在することとなります。その場合には、過去から見ると、現在(=未来)は決定していることとなり、自由意志に反するでしょう。

このように矛盾が生じるのではないかと思います。また、常に瞬間瞬間に無限に世界が分かれていき、自由意志が否定されるのであれば、将来への道は一義に確定しており、他の無限の世界はその存在が無意味となります。

どうも、時間が外部に存在するというのは、無理があるように思えてなりません。ここでアウグスティヌスの意見に耳を傾けてみましょう。