刺激のある生活へ慣れてしまうことの危険性

刺激のある生活に慣れてしまい、刺激の無い生活には満足できない。それは、危険信号であると思います。

それは、ラーメンに唐辛子や胡椒をたくさん入れないと満足できない、何もいれないラーメンではもう満足ができない状態であると言えるでしょう。しかし、ラーメンはそのままのラーメンでおいしいはずです。

つまり、激辛のラーメンに慣れてしまい、通常のラーメンを食べられないと言うことは、通常のラーメンそのもののおいしさというものを味わうことができない状態になっていると言えるのではないでしょうか?

日常の生活もそれと同じことです。

刺激のある生活に慣れてしまい、刺激も何もない生活には満足できない、というのは、人生に対する深い味わいというものを忘れているように思えるのです。それは、心の安らぎであり、母親が子供を見つめるような優しいまなざしのような、深い静かな幸福感です。

このような静かな心でいるときに感じることのできる、波ひとつない静かな湖面のような安らぎ、その幸福感というものが、人生の一つの幸せの土台になっているのです。

刺激が無い生活に対して、満足できない人は、もう一度、足元から生活を見直してみてはどうか、と私は思います。