考えていることの正しさは証明できるか?⑦
自分が考えていることは宗教体験によって確信することができるという話をしました。
特に真理認識ですが、真理は、カントの言うように知によって証明できません。知によって証明しようとするとアンチノミーに陥り、真理が存在するも真理が存在しない、も同時に証明されてしまいます。
結局、真理は知によって証明できず、知によって把握することはできません。
では、真理は認識することができないのか?やはり、相対主義なのか?というとそうではありません。
真理は認識することが可能です。そして、それは、実に意外な方向からなされることとなるのです。それが、宗教体験による確信です。
宗教体験による確信とは何でしょう?
結局、それが古来より言われている悟りということになるでしょう。
実は、この悟りを哲学的に言い表すと、主観と客観の一致になるということなのです。
宗教上の悟りとは、哲学における主観と客観の一致ということになります。
では、この悟りであり、主観と客観の一致とはどのように行われるのでしょうか?