戦争やテロの原因⑦キューバ危機と外交上の成功事例

戦争やテロの真なる原因ということで、話をしていますが、ウクライナ侵攻は外交上の失敗事例として、キューバ危機は外交上の成功事例として考えられると思います。一旦、戦争やテロの真なる原因から離れ、キューバ危機の外交上の成功について考えてみたいと思います。

キューバ危機とは、冷戦体制下において、アメリカ合衆国とソビエト連邦の間の緊張が極限まで達し、核戦争一歩寸前まで陥った危機のことです。

1962年10月14日にアメリカ軍が、キューバにソ連の核ミサイル施設が建設されていることを発見します。すぐさまホワイトハウスにこれを報告したわけですが、ホワイトハウスでは多大なる衝撃が走ります。

これがどれだけのことなのかというと、要は、ウクライナにNATOの核攻撃施設が建設中なのをロシアが発見した、と思ってください。これは大問題であります。キューバはアメリカのすぐ隣の国であり、そんな場所いソ連の核ミサイル基地が配備されでもすれば、アメリカ本土を核攻撃可能となってしまいます。そんなこと見過ごすわけにはいきません。

そこで、昼夜を問わずホワイトハウスでは連続した会議がもたれ、基地を空爆すべきであるとか、キューバへ侵攻すべきであるとか、様々議論されました。しかし、本格的攻撃を行えば、ソ連は必ず報復し、そこで、第三次世界大戦が勃発してしまうでしょう。そして、それは核戦争となるでしょう。そうなってしまっては、全世界が壊滅的な危機に陥ります。そのようなことは、アメリカのケネディ大統領としても、ソ連のフルシチョフとしても、望みません。そこでなんとか外交によって解決ができないかが米ソにおいて何度も手紙を通して話し合われるわけです。

10月20日には海上封鎖が行われ、また、10月27日土曜日には、キューバ上空で米軍機が撃墜されたり、米軍偵察機が不注意によりシベリアソ連領内に入ってしまったり、また、フルシチョフから高圧的な書簡を送られてきたりと(「暗黒の土曜日」)一触即発の状態に陥りました。それでも両首脳は常に冷静さを保ち、最終的には、両首脳の間で、「米国がキューバ侵攻を行わない(加えて、トルコのにある米国のミサイル撤去も密約として)条件の元、ソ連側も核兵器をキューバから撤去する」と約束が交わされ、第三次世界大戦、核戦争が回避されたわけです。

トルコの米国ミサイル撤去は米国サイドとしても安全保障上のものとして、また、その要求を呑めばソ連に対する弱腰と見かねられないため、許容できないものではありました。しかし、ケネディは、そのような撤去と、第三次世界大戦という大いなる代償を天秤にかけ、これを呑まないことは馬鹿げたことであるとし、最終的にはソ連側の条件を呑むことを選択しました。

これは、ケネディ大統領とフルシチョフのトップ同士の協議によって実現したものですが、世界の平和を守った英断であったと思います。

後に、ケネディ大統領の実弟であるロバートケネディは、「他国の靴」を履いてみることの重要性を残しています。他国の靴を履く、つまり、相手の立場に立って考えることの重要性です。ケネディ大統領はこのキューバ危機の交渉中、常に、フルシチョフやソ連の立場に立って考え、彼らがどのようにすれば、米国に対して強硬的な態度を取らざるを得ないと思わせないようにすることができるか、を考えていたようです。

相手の立場に立って考える、相手を尊重すること。それは非常に簡単な事であるとは思いますが、実は、これが外交上の最も大切なこととなるのではないかなと思います。