哲学の難問③デカルト
近世において、神から人間に焦点が当たり、人間が主体的に世界を構築していく価値観が形成されていきました。
そうなった場合に、人間が行うことは正しいことなのか?人間の考えは正しいのか?それをまずは吟味することが必要になるでしょう。これだけは間違いないということは存在するだろうか?それを吟味すべきでしょう。
デカルトも、それは十分に承知していたため、「これだけは間違いない」という根本的なものを見つけようと努力しました。方法的懐疑によってあらゆるものを疑い、これだけは確実であるというものを抽出しようとしたわけです。
そして、抽出したのが、「われ思うゆえにわれあり」です。自分は考えている、だから自分は存在する。この理性を哲学の第一原理と置きました。
さて、次に吟味すべきが、理性が考えることは正しいことなのか?という主観と客観の一致の問題です。
これに対してデカルトはどう答えたでしょう?
方法的懐疑によって徹底的に疑って気力がなくなったのか、デカルトは、神を持ち出し、神が我々を欺くはずはないから理性の能力は完璧である、と結論します。これは、多くの人々の同意を得るものではないでしょう。
このデカルトの主観と客観の一致の考察以降、主観と客観は果たして一致しているのかどうか、という認識論が近世の中心的なテーマとなっていくのです。