正しい知の使い方④理性的認識の限界と信仰心

カントは『純粋理性批判』で理性的認識には限界があると言う話をしました。真理を把握しようとすると、真理は存在するもしないも同時に証明されてしまうと言いました。

つまり、理性認識、ないし、知的には真理を把握することができないということです。これが知の限界です。

しかし、真理は存在しないのでしょうか?

真理が存在しないのであれば、客観的な知は形成することができないこととなります。しかし、一つの事例として自然科学は学として成り立っており、人々の共通理解となっています。真理が存在しないのであれば、自然科学が成り立ち、宇宙に法則性があることは説明ができないであろうと思います。

これをどう説明するのか?科学だけでなく、医学も心理学も成り立たないはずですが、しかし、現実には医学にしても心理学にしても学として成り立っており、現実の社会においても成功しています。これをどう説明するのか?

つまり、真理は存在し、それは、理性認識においては、知的探求においては、認識することができないが、他の方法によって認識することが可能なのではないか?そのように思えるのです。

そして、それが信仰心ということによって可能なのではないか?と思うわけです。