正しい知の使い方⑤主観と客観の一致
真理認識は理性的認識によっては、知的理解によっては到達できない、という話をしました。
では、何によって認識可能なのか?というと、それが信仰心によってという話をしました。
より詳細に話をすると以下のようになるでしょう。
もし真理を認識することが可能なのであれば、我々は真理をアプリオリに知っている必要があります。AとBがイコールであるかどうかを判定するには、Aを既に知っており、その認識とBをマッチングすることでAとBが等しいと理解できます。
それを真理に当てはめるのであれば、真理はアプリオリに存在するものですから、我々はアプリオリに真理を知っていることとなるのです。
そして、真理認識が可能になるということはどういうことかというと、何らの真理に関する情報が外部から得られたときに、つまり、それが上記で言うところのBですが、Bの情報が得られたときに、自分自身の中にあるアプリオリなA認識とのマッチングが起こる。それによって、外部情報のBが真理であると認識できる、ということです。
これは、共鳴です。Bが与えられたときに、Aとの共鳴が起こり、「ああ、Bは真理だ」と自分で認識できるのです。宗教的にはこれを悟りと表現します。
ですから、通常主観と客観の一致と言うと、外部にあるAとBのマッチングによると思われるでしょうが、全て内部で起こるのです。自分自身のアプリオリな真理認識(客観)と自分が得た外部情報(主観)の一致を自分自身で確認する、ということです。そして、その確認が何によって行われるかと言うと、これが、共鳴ということになるのです。これは意識体験です。
これが主観と客観の一致ということになるでしょう。