主観と客観の一致の問題はなぜ解決しないのか?⑥主観と客観の一致とは悟りのこと

前回主観と客観の一致は知によって解決できないという話をしました。結局知は限界があるのです。

では、主観と客観の一致は不可能なのか?というとそうではないと私は思います。

認識に関するコペルニクス的転回かもしれませんが、知という哲学の領域によってではなく、宗教の領域によって主観と客観の一致が可能となるのです。

結局は主観と客観の一致とは、特にそれが真理認識となると、それがどう行われるかというと、これは古くから悟りと呼ばれる方法によって可能となるのです。

そして、この悟りは実は物理学的に説明ができるものです。

最初に真理とは何かと言うと、それは愛と呼ばれているものであると私は認識しています。

この愛は、振動数を持っています。高い振動数です。

しかし、私たちの意識振動数は通常低い状態にあるので、この愛と共鳴することがありません。従って、我々は真理に気付かないのです。

ところが、私たちの意識レベルが上がっていくうちに、徐々に徐々に愛の持つ振動数に近づいていき、いつしか、この愛の持つ振動数と共鳴することとなります。このときに、「ああ、これだ。これに違いない。」と愛を悟ることとなるのです。

この悟りによって得た確認、真理に対する確信が、これが主観と客観の一致ということになります。主観と客観の一致は知によって到達できません。そうではなく、自らの宗教体験における確信の中で達成されるのです。