哲学の難問⑦ヘーゲルはどう答えたか?

カントの主観と客観の一致について考えていました。カントは、三次元の範囲内では主観と客観は一致するが、三次元を超えた物自体の世界の認識は持てない、としました。そして、それらの認識は、道徳を司る実践理性に委ね、実践理性によって英知界の認識を持ち、道徳法則の確立が可能であるとしました。

これがカントの主張です。そして、カント哲学の特徴は、認識は静的なものであると前提を置いていることです。つまり、認識は上がることも下がることも無い、静的なものであり、三次元を分析する純粋理性と道徳法則を司る実践理性の2つの理性によって、成り立っている、このように主張しました。

これに対して、ヘーゲルはどう答えたでしょうか?

ヘーゲルはカントの言うように人間の認識を静的なものとはみなしませんでした。認識が動的であり、教養を身に着けるごとに人間の認識は上がっていくとしました。

そして様々な経験を積むうちに、カントの言う三次元の限界を超えて、神を認識するまでに至る、と主張します。この神への認識が認識の終着点であり、これを絶対知と言います。

つまり、ヘーゲルは最終的には人間の認識は神を認識するに至る。神の認識に対する主観と客観の一致を獲得することが可能である、と言っているのです。

これが哲学の最高峰であると言っていいでしょう。これこそが哲学の最高峰であり、山で言えばエベレストということになるでしょう。このヘーゲル哲学によって、カントから始まるドイツ観念論は、山の頂を見ることとなるのです。