易しい哲学史⑪近代哲学(6)
カントの問題意識とカント哲学について概観しました。そして、カントの哲学では理性が純粋理性と実践理性という2つに分かれてしまうという課題がありました。それを統合する形で発展したのがドイツ観念論です。
フィヒテ、シェリングとバトンをつなぎ、最後ヘーゲルへとバトンが渡されます。
ヘーゲルの哲学の特徴は、絶対知(ないし絶対精神)、動的な動き(弁証法)、国家といった部分にあるでしょう。
まずカント哲学においては、人間の理性は三次元の範囲内に限定されると主張されたわけですが、ヘーゲルは、人間の認識は様々な教養を身に着けるごとにあがっていき、カントの言う理性の限界を超えて神の知(絶対知)に到達することができると主張します。それが一点と、もう一点カントと異なるのは、カントは認識を静的なものであると論じましたが、ヘーゲルは動的な動きの中で認識が上がっていくと論じました。その運動が弁証法となります。
弁証法とは、「正」がその内側に備える矛盾から「反」を生み出し、その両者が統合(アウフヘーベン)し、それが繰り返していくことで進化発展していくという考えです。
この弁証法的発展によって、人間の認識は上がっていき、カントの言う理性的認識の限界を超えて、神の認識である絶対知に到達するのだ。これがヘーゲルの哲学です。
理性的認識の限界を超えて認識が上がっていき、理念を把握する段階まで到達するということで、プラトンの言うイデアの把握を近代哲学的に知によって論理的に論じたところにヘーゲルの功績があるのかもしれません。
蛇足ですが、この弁証法は、理性を主体によってなされるものであり、観念論的弁証法と言うことになります。対して、マルクスも弁証法を主張するわけですが、マルクスの弁証法は生産手段などの物質的三次元的なものが、歴史を生み出すということで唯物論的弁証法と言われています。どちらもありうるとは思いますが、しかし、やはり、私の認識では、意識が現実を創造する、というのが原則であると思いますので、ヘーゲルの考えがまず最初にあると言うことになると思います。