ニーチェ(5)ニーチェの間違いについて

ニーチェの哲学について概観しました。

長い哲学史の歴史において、哲学がソクラテスから始まり、ニーチェで終わったと言う学者もいます。確かに、ソクラテスやプラトンによって哲学は始まり、ニーチェが神を抹殺し真理を否定したことによって、そこにおいて哲学の歴史も終わった。そのように言うのも事実だけを見れば納得できるかもしれません。

しかし、私自身の見解を言うと、ニーチェは根本的に間違っている。そう思います。

ニーチェの哲学をここまで記載してきましたが、私自身ニーチェを正しいと思っているわけではありません。私がニーチェを題材に挙げているのは、ニーチェが影響力が強い哲学者だからです。そのため、ここで一旦その間違いがどこにあるかをはっきりさせておきたく、そのためにニーチェを題材に挙げています。

ニーチェの何が間違っているのでしょうか?3点あげてみたいと思います。

1点目は、キリスト教がルサンチマンの哲学であり、生を減退させる、という点です。ニーチェは「富者が天国に入るのはラクダが針の穴を通るよりも難しい」という言葉を弱者への慰みの言葉であると言いましたが、この言葉の意味は、富者は傲慢になりやすく、天国から遠ざかってしまう、従って、よくよく注意すべきである、というむしろ富者に対する戒めだろうと思います。

キリスト教は愛を教えますが、「与えるものは与えられ、奪うものは奪われる」と言う言葉は、これは、法則です。愛の法則であると言えるでしょう。従って、イエスキリストは普遍的な愛とその法則を伝えているのであって、自分自身の考えや思想を伝えているわけではありません。まして、ルサンチマンの哲学を伝えているわけではありません。この部分はニーチェが絶対的に間違っている部分であると言えるでしょう。

2点目は、「神は死んだ」と言い、真理など存在しないと言った点です。神が死んだのであれば、この世界はなぜ存続可能なのでしょうか?世界が存続していると言うことは何かしらエネルギーの供給があると言うことであり、また、継続的に存在がその形態を維持することができるのは、何らかの法則性や意志が働いているからであろうと思います。これらのことにニーチェは答えることができるでしょうか?

3点目は、ニーチェの認識論、パースペクティビズムです。ニーチェの力への意志に基づくそれぞれの解釈があるという考えは、これは、認識力がそれほど高くない場合です。認識力が高くない場合には、神はいない、神は存在する、といった様々な考えが現れます。しかし、ヘーゲルの言うように人間の認識が高まっていくと、そのような認識は統合されていきます。認識が高まると主観と客観は一致し、神の絶対知にまで人間の認識は高まるのです。

他にもあるでしょうが、ニーチェの間違いを3点あげてみました。従って、結論を言うと、ニーチェは自分自身の色眼鏡で見た間違った世界のあり方を普遍的なものであると論じてしまった、ということになるでしょう。ニーチェは間違っていると言いたいと思います。