大好きなことをやることがなぜ大切なのか?②受験勉強

私自身のことを話してみましょう。

少し長いですが、『新しい教育のすすめ』から以下抜粋したいと思います。

<以下『新しい教育のすすめ』より抜粋>

私自身も、また高校受験、大学受験と、受験を経験したわけですが、受験の必須科目があり、それらを勉強するのは、大変苦痛であったと思います。国語、英語、数学、地理、物理、化学といった科目を私は専攻していたわけですが、特に国語と化学、それらの科目が全く興味が無く、しかし、受験科目だったために、仕方なく勉強していたと言うのがあったと思います。要は、苦痛以外の何物でもありませんでした。

ただ、一方で、数学は大好きでありました。数学と地理は大好きでした。物理は好きではあったのですが、様々な公式が出てきて、どうして自然界の姿がそんな掛け算や足し算の方程式で記述できるのかが理解できず、拒絶反応が起きて、結局苦手科目でありました。物理自体は好きなのですが、なぜそのように体系立てられるのかの理由が分からず、拒絶反応で受け付けなかったのです。

数学については、本当に大好きで、私自身は文系の大学を志望していましたが、三年生の時に理系のクラスを選択したのです。なぜなら微分積分が勉強したかったからです。数学が大好きだったので、微分積分が勉強したかったし、図書館で様々な数学の文献を読んだりしました。また、数学オリンピックの予選にも出場しました。結局一次予選で敗退していますが、しかし、それだけ好きだったのです。

ですから、私にとっては、国語や化学といったものは、受験を合格するための手段であったと思いますが、数学については違っていたのです。つまり、数学は私にとってやりたいからやっているのであって、数学を学ぶことそれ自体が目的であったわけです。

そして、私は国立大学が第一志望で、その当時はセンター試験という一次選抜があったのですが、このセンター試験で、物理が全くできず、二次合格率10%という判定が出てしまいました。

つまり、二次試験は絶望的であったわけです。しかし、運が良かったことに私の大学は数学の配点が他の科目に比較して、一番高いのです。特に私が志望した商学部は数学の配点が一番高かったわけです。

そして、どうも私の大学の数学は文系では最難関と言われているようで、5問中、1問か2問解ければ合格は可能であると言われているのです。しかし、私は、5問全部解くことができたのです。他の受験生に対して大幅に差をつけることができたわけです。実際に予備校の回答を見てもあっていたので、センターの段階では合格率10%だったが、もしかしたら合格したかもしれない、そのように思ったわけです。そして、実際に合格していました。

この話で何が言いたいのかというと、別に自慢をしているわけではないのです。そうではなく、目的と手段の関係で、行為と言うものは、手段として行うべきではなく、目的として行うべきであるという話をしているのです。

私の今お話しした例でいれば、国語や物理と言うものは、受験に合格するための手段として勉強していたのであって、嫌々ながら受験勉強を行って、その結果として受験に合格したというものでしょう。しかし、数学については違っているのです。数学が好きで仕方ないから勉強していた。ついでに合格もしてしまった。ということです。

手段として勉強している場合は、つまり嫌々やっているのであって、受験勉強は苦痛でしょう。実際私も国語などはそうでした。そして、嫌々やっているのであれば、それは、うまくはならないし、能力も上がっては行かないでしょう。国語はずっと点数が悪かったですね。悩みの種でした。一方で、目的として勉強するのであれば、自分が好きだから勉強しているのであって、それはどんどん良くなっていくでしょう。どんどん能力も上がっていくことでしょう。

そのようなことは明白です。だからこそ、合格率10%と言われても、私自身が合格できたということなのです。数学が大好きだからどんどん能力も上がっていき、結果として、人よりも良い点数を取って合格してしまうのです。